コラム 〜蛇骨湯賛歌〜
下町浅草、観音さまへの通り道、天然温泉、露天風呂…と続けば銭湯好きならずとも首に手ぬぐいぶら下げて、いそいそ出かけたくなるヨダレものの好条件。
いわんや銭湯大好き人間の私など噂に高いこの銭湯の話を耳にする度、頭の中に楽園が広がり”ぜひ一度お会いしたい、でも、ちょっとドキドキ”と、まるで高嶺の花の方とのお見合いを勧められた娘のように、嬉しさと”私なんかでは…”という少々敷居の高さを感じるほどの興奮状態。そして、当時仲間で作っていた”銭湯に入ったあと一杯やろう会”の面々総勢9人と繰り出すことになったのが5年前。
このTPO(?)に応じて”英語を勉強したあと一杯やろう会”や”下町散策のあと一杯やろう会”にすぐ変身しちゃう仲間を連れ出すために、なんかね『江戸時代の創業らしいよ』、とか、『昔はここ蛇骨長屋っていう長屋があったらしいよ』とか、『なんと茶褐色の温泉で、露天風呂だってあるらしよ』とか本で調べたにわか知識と、”帰りはあの電気ブランの神谷バーで一杯やれるんだよ”…と少々軌道を外れながら大誘惑。それなら!(たぶん神谷バーの部分で)、ということである晴れた土曜日、その日お仕事があった私は現地集合で夕方の5時くらいにかけつけることになった。
冬の早い陽は落ちかけ、浅草寺に向かう参道は商店街のネオンに照らされていた。”確かこの辺りなんだけど…”ときょろきょろする私の目にお寿司やさんばかり飛び込んでくる。”あーこんなとこに!”、蛇骨湯はちょっと奥まったところにその入り口を広げていた。『は〜、これが蛇骨湯ねえ…』と、思っていたよりずっと親しみ易いその外観にしばし見入る。その間板前さんらしき人やご近所のおばさん、おじさん、子供が風呂桶を抱えてどんどん暖簾をくぐる。『へえ、盛況だなぁ…』と関心していると、”お〜いい湯だったよー!”、会の男連中がぽっかぽかの顔で出てきた。
すこぶる上機嫌だ。私も早速中へ。浴室は思った通りの活気、人々のおしゃべりと桶の音が高い天井にこだましている。友人たちは露天風呂で恍惚状態していた。私に気付いて手招きしながら、『極楽、極楽』とひたっている。ほんと、ちょうどいい湯加減だ。このコーラ色のお湯もすごく体にいい気がしてくる。いや、ホント極楽だ。浅草のど真ん中で露天風呂につかるなんて、たまらない醍醐味。ふと、浴場のざわつきに江戸時にトリップしたような感慨に襲われる。
『やっぱ、銭湯のあとの一杯は最高だねぇ』、上気した顔で皆はしゃいでいる。『だからそう言ったじゃない』、私の自慢げなフレーズをもう誰も聞いていない。その日は夜半まで盛り上がり、帰路で考えた。
お寿司やさんは日本初のファースト・フード、銭湯の隣に建ち、湯上がりで手を洗わずに食べられたことがはじまりとかって番組をいつか見たような気が…。それであんなにお寿司やさんが多かったのかしら…。
あれから、蛇骨湯さん歴は5〜6回を数える。屋形船に乗ろうとか何かとイベントを浅草でしかけて夜の部への中締めを蛇骨湯さんにたよっている。
蛇骨湯さんのあとの一杯は格別うまい。”巨人、大鵬、卵焼き”が日本人の定番なら、やっぱ銭湯の定番は、”浅草、蛇骨湯、富士のタイル絵”これで決まりでしょう。(これからもよろしくお願しま〜す)
”銭湯に入ったあと一杯やろう会”公認飲み助 小山内咲羅茶
江戸期から続く都内屈指の歴史ある銭湯。黒褐色の天然温泉や半露天風呂も完備している健康増進型銭湯